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前オーナーブログ | 【公式】オーベルジュメソン|滋賀・何もしない贅沢を味わう籠れる宿

Story

滞在中の楽しみ方を、
周辺のスポットや季節のトピックを
交えてご紹介しています。

体重増減物語

2023.11.30

ウイーンで暮らした1年半で、僕の体重は10キロ減った。
「日本のご飯でないと受け付けない」と、強く感じていたわけではない。
また、ダイエットしなくちゃとも思っていたわけではない。
当時を振り返ると、少しずつダメージが蓄積した結果なのかもしれないと思うようになっていた。

 

どうも要因はこのあたりにありそうだ。
①水が違う
②食材が違う
③大皿料理を作らなくなる
④物価が高い
⑤結果として食事量が減る
⑥よく歩く

 

①水が違う
移住時の荷物に、日本のスーパーマーケットで売られているカレールーを持参した。日本では常用していたものだが、それを使ってカレーライスを作るのだが味が全く違う。おいしくないのだ。
お茶、出汁なども、やはり味がずれている。
「味覚は大雑把」を自認しているのだが、どれもおいしいと思えない。
②食材が違う
野菜・肉・魚、多くは日本で売られているものとは少しずつ違う。
一番閉口したのはキャベツ。どれだけ煮ても焼いても、筋っぽさが抜けない。お好み焼きではおなじみの食材だが、何回目かには白菜に切り替えた。
もちろん安くて同じような味・触感のものはある。カリフラワー、インゲン類は多用した。
肉は薄切りはなく、ほとんどが赤み肉でそれがほぼ塊で売られている。メニューが思いつきにくいのと、どの肉も多少動物臭がある。
オーストリアは海がない内陸国なので、普通のスーパーに鮮魚はほぼない。大型スーパーや市場にはあるのだが、鮮魚はかなり高いし、それを生かす腕がない。
③大皿料理を作らなくなる
そんな中で日々自炊をしていると、メインの肉あるいは魚に付け合わせのワンプレートという洋風メニューが定着してきた。つまり、一人分の食事を夫婦分2皿だけ作るということになってきたのだ。
日本にいた頃は娘がいたので、数種類のおかずを大皿でというスタイル。したがって、個人の分量は「満腹になったらおしまい」という判断にゆだねられていた。
④物価が高い
オーストリアの人口は、大阪府民とほぼ同数。とても小さな国だが、一人当たりGDPは、日本よりはるか上にあり、ヨーロッパの中でもかなり豊かな国に位置する。ここで住んでいると、日本の収入も物価も安いことが、日本の活力を奪っているのがよくわかる。
そんな中でウイーンのスーパーマーケットの価格もレストランも、そんな日本人の感覚すると高い。今の異常なほどの円安を勘案すると、物価全般に、日本の2倍といっても過言ではないのではないか。それほどオーストリアの収入は日本に比べて高いのだ。
⑤結果として食事量が減る
結果としてウイーンでの食事の分量は、減少傾向にあったのだと思う。つまり年齢にふさわしい量になっていたのだと思う。
⑥よく歩く
ヨーロッパの車の標準は、左ハンドル、右側通行。日本の事情の真逆。だから、最初から自家用車を購入することは想定していなかった。
ウイーン市内は、地下鉄・トラム・バスがとてもよく整備されている。最も安い30日パスを購入すると、1日0.6ユーロ(約100円)で乗り放題になる。日々の暮らしはこれで十分。
ドアからドアまで車で移動する田舎よりも、公共交通機関中心の都会の暮らしは歩数が断然多くなる。私たちには通勤・買い物などが、適切な運動になったのだろう。

 

日本に戻って、半年で体重は移住前に戻った。原因は単純で、食事も運動も移住前に戻ったということだ。60歳を前にしてウイーンで暮らし始めたのだが、長年蓄積された味覚が1年半では覆せなかったということなのだろう。

 

オーストリアへの移住には、ポイント制の申請資格が必要だった。語学力や職能・職歴などでポイントが加算されるのだが、年齢もその対象だった。若ければ若いほどそのポイントは高い。申請時の私の年齢加算はゼロだった。

その判断は、ある意味正解なのかもしれない。

我が家の冬支度

2023.11.25

今日散歩にでかけたら、比良山脈のてっぺんにわずかな積雪があった。
1年半暮らしたウイーンから比良に戻って半年。
冬支度の季節になった。
暮らし方、暮らす地域にもよるのだが、この地域に住む人たちには、衣替えだけではない「冬支度」が必要だ。

 

我が家には薪ストーブがある。我が家では、薪ストーブと石油ファンヒーターを併用している。それでもひと冬超すだけの薪が必要になる。
薪ストーブ暮らしを始めて30年弱になるが、まだ薪を購入したことがない。うちのストーブは、廃材など何でも燃やしてしまうからということもあるが、近所で伐採された木や、メソンで剪定した木を薪にするだけで、ひと冬分は足りてきた。
この冬の分は、メソンで剪定した分で足りそうだが、来年分のメドはない。来冬にかけて薪をどこでどう調達するか、アンテナを張っておく必要があるのだ。 

 

もう一つの課題は車。
この地域の山手のエリアは、ひどいときには膝までの積雪がある。
降雪にどう備えておくかは、とても大切になる。
私たちが比良に帰ってきたとき、乗れる車は軽トラだけだった。
軽トラを運転するのは大好きなのだが、3速までしかない20年落ちの車では、遠出ができない。
帰国早々に、冬でも乗れる4WDのドイツ車を探しだし、それを見に中古車屋さんにいったのだが、妻の反対にあい、メーカー違いの2WDのドイツ車を購入した。
だからあらためて、冬対策用の車をこの時期に探すことに。
免許取りたての二女も乗るので、小さめサイズで多少の擦りも気にならないものが必要。。
車種も絞れないまま、1か月ほどネットであれこれ見ていたのだが、ようやく近場の中古車屋さんで、20年落ちの国産4WDの軽自動車に決めた。
スタッドレスタイヤもノーマルタイヤも、その中古車屋さんにあった中古タイヤが使えそうなので、同時に購入。

 

ぼろぼろだった長靴も買い直したし、これで我が家の今年の冬対策は完了なのか?

私たちの仕事は何か?

2023.10.14

オーベルジュメソンは創業21年を超える。

これまで、いつも「私たちの仕事はなんだろう?」と考え続けてきた。

「オーベルジュ」は、「主に郊外や地方にある宿泊設備を備えたレストランである」(Wikipedia)。

確かにそうなのだが、どうもしっくりこない。

だから考え続ける。

しかし「あぁ、こういうことだったんだ」と、思い知らされる時がある。

 

とある日に「客室ノート」に記されていた。


癌で闘病中の夫と訪れました。

4月に大きな手術をして、今は抗がん剤で治療中です。

辛い日々の中で、こんなに素晴らしい時間を与えられたことに感謝です。

聞こえるのは、風の音、虫の声、鳥のさえずり…穏やかな優しい人達。

美しい器に盛られたこの上なくおいしいお料理。

澄んだ空気…

これからもずっと、できるだけ長く二人で生きていきたい、と

改めて思わされる時でした。

苦しくても頑張っている夫に感謝とエール!

幸せな時間、ありがとう。

スタッフの皆様、ありがとうございました。


客室ノートを読んで、私たちはゲストがどんな思いやタイミングでお越しになるのかを知る。

そして、ふさわしい仕事ができていたのかどうか、振り返る。

メソンで毎日仕事をしている私たちにとっては、「メソンでの毎日」は日常。

だが、客室ノートを通して、改めて私たちは思い知らされる。

私たちの仕事は何かを。

連泊のススメ─本と温泉と景観と。

2023.10.03

家に籠っているのが好きなので、あんまり旅行に出かけない。
観光にもあまり興味がない。
しかし、たまに出かけるとすればふだん山麓に住んでいるからか、海沿いが多い。

 

自宅から車で2時間程度の範囲内だと、三重県の志摩が好きだ。
大海原だと景色に変化はないが、志摩は地形が変化に富み、小さな島も多く、複雑な景観。
鳥羽から志摩にかけては温泉もある。

 

ある日、本屋さんにでかけ6冊の本を買ってきた。
その翌日が志摩へ出発する日になったので、6冊をもって出発した。
(国内旅行はほとんどこんな感じで、いきなり予定が決まるのだ)

 

予約したホテルは、数年前に泊まったことがある。
「食事はダメだが、いごこちよくて客室からの眺めが抜群!」という印象があった。温泉もある。
出発日前日からの流れで「今回は本を読む旅」と決めていたので2連泊で、目的遂行にふさわしいホテル選びに徹した。

 

私たちにとってこの客室が「読書の旅」に適している理由①は、大きなソファがあること。
理由②海へ面した客室の幅も天地もほぼ羽目ごろしガラスであること。眺めを遮るものがない。つまりベッドで本を読んでいても、海が見える。
また、一定の制約はあるがドリンク代は宿泊料金に込みなので、好きな時にビールが飲め(理由③)、客室にはウォーターサーバーがあるので、水分補給もいつでもできる。こうした条件をそろえようとすると宿泊料金が高くなりがちだが、このホテルは「料金も私にとって心地よい」が理由④。

 

出発日のお昼に伊勢で牡蠣料理屋さんに寄った後、ホテルのチェックインから2日後のチェックアウトまで、ホテルから外出しなかった。ワイヤレスのスピーカーも持ち込んで、読書、食事、温泉。これを繰り返す。私たちにとっては日常ではない景観とともに過ごしただけなのだ。

 

その人、あるいはその時によって旅に望むものは違う。ホテルにもそれぞれ特徴があり、それぞれルールも定まっている。見極めるのはそれほど容易ではないが、予約者が自らマッチングさせるほかない。その地域を味わうことに比重をおくのか、ホテルでの時間を大切にしたいのか…。
それがミスマッチすると、ホテルにクレームが寄せられたりする。
(私たちにはかなりつらいのです)

 

オーベルジュメソンは「ここで過ごすことに意味がある施設にしたい」と願ってつくってきた。客室にはソファ、ブルーレイ・CDプレーヤー、コーヒーメーカー。そしてライブラリーもある。「籠る連泊」というスタイルのためのホテル選びの上で、メソンはかなりおすすめだと思う。(掲載している写真は2枚とも「比良別邸」。温泉はありませんが…)

公式サイトからの予約だと、2泊目以降はお一人1,100円引きです。

 

ちなみに、旅先で読んだ本はこの4冊。

 

『パリのすてきなおじさん』 金井真紀 柏書房
『なるほどの対話』 河合隼雄+吉本ばなな NHK出版
『内田樹の生存戦略』 内田樹 自由国民社
『魔法のコンパス 道なき道の歩き方』 西野亮廣 主婦と生活社

 

 

帰宅した途端、本を読まなくなってしまっていますが(笑)。

2021秋?ウイーン移住への記録 第30回

2021.08.26

オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて19年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が2021年夏、
ウイーンへ移住し、新たな仕事をはじめます。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)

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前回のブログから3か月経ちました。

まだ、日本におります。

日本にいるってことは、事態は思うようにいかない状況で動いているっていうことです。

(概略のみ記載します)

 

前回のブログで書いたように、オーストリア政府当局から、

申請書類に追加して「こういう書類を提出してください」という要請を受けて、追加書類を提出。

申請結果は8週間以内、という規定なので、7月中には回答があるだろうと想像していました。

 

回答期限を間近にしたある日、僕の雇用を決定しているウイーンの会社へ、

オーストリアの雇用・労働を担当する部門から、書類が届いていると連絡があります。

 

内容を確認してもらうと、「6月9日に事情を聞くために呼び出したが、なんの返答もなかった。申請者の職業能力(職歴)をゼロと評価したので、申請に必要なポイントに足りない。したがって今回の申請は却下する」。

簡単にいえば、そんなことになります。

 

「?」

 

僕自身、代理人、会社。確認しましたが、だれも呼び出しを受け取っていません。

この結論に対して、「異議申し立て」が認められています。

代理人の方が、数日で「異議申し立て」を準備して、メールと郵送で当局へ。

10週間以内(9月末)に、それに対する審議が行われ、結論がでます。

 

このやり取りの中で、当局の担当者とメールアドレスが、わかりました。

それまでは、直接窓口に行って担当者とドイツ語あるいは英語で、意見表明をするしかないのだと思っていましたが、僕自身と会社側の意見表明がメールで直接できるチャンスができたわけです。

 

日本語で僕なりの意見を表明した文章を作り、ドイツ語訳していただいて、直接当局にメールを今日送りました。

 

以下は、ほぼドイツ語の全文です。

興味がおありでしたら、翻訳してみてください。

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Sehr geehrte Frau Suzanna 〇〇,sehr geehrter Herr Christian 〇〇,geehrte Frau Ingrid 〇〇,

Mein Name ist Hiroyuki 〇〇.
Ich bin der Antragsteller.

1.)
Wissen Sie wie groß die Einwohnerzahl Japans ist?
Sie beträgt ca. 120 Millionen.
 
Was die Einwohnerzahl betrifft ist Deutschland das größte Land Europas mit seinen 82 Millionen.
Die Einwohnerzahl Großbritanniens beträgt 66 Millionen,
Frankreich 65 Millionen, Italien 59 Millionen.
 
Und Österreich hat 8,7 Millionen Einwohner.
Ich möchte hiermit nicht sagen, dass man Länder nach der Größe der Einwohnerzahl beurteilen soll.
 
In einem so dicht besiedelten, von der Einwohnerzahl aus gesehen, großen Land, Japan, existieren über 50.000 Unterkünfte.
Die Unterkunft „Auberge Meson“, die ich seit der Gründung betrieben habe, und sie mit Sorgfalt „wachsen“ ließ, wurde kontinuierlich
in den vergangenen 6 Jahren auf TripAdviser, einer der weltgrößten Touristikwebsite als eine unter den fünfzehn hervorragenden Unterkünfte Japans ausgezeichnet.
https://www.meson-box.com/
(Ich bitte Sie, die Einzelheiten aus dem beigefügten „Work Experience“  zu entnehmen)
 
„Auberge Meson“ ist keine große Unterkunft. Die Mitarbeiterzahl beträgt insgesamt 10 Personen. Ich habe besonders großen Wert auf gute Betreuung unserer Gäste,
Verkauf von Waren, Reinigung, Gewinnung von Kunden aus der ganzen Welt, Markenmarketing und alles was für Unternehmensführung und Betrieb wichtig ist zum Erfolg geführt und die vorher genannte Leistung und Ergebnis hervorgebracht.
Ich habe auch eine Galerie, in der ausländische Gäste die Möglichkeit haben, mit der japanischen Kultur und Handwerkskunst in Berührung zu kommen.
 
In dieser Zeit der weltweiten Ausbreitung der Covid-19 Pandemie hat Auberge Meson ihre Beliebtheit bei den Gästen bewahren können. Die Zimmer sind fast immer ausgebucht.
 
Ich bin davon überzeugt, dass ich aus den genannten Gründen den Erwartungen der Firma REPLICART GmbH, die eine Person mit breitgefächerten Fähigkeiten sucht, entsprochen habe. Daher hat die Firma die Entscheidung getroffen, mich einzustellen. Es zeugt davon, dass sie in Österreich keine Person gefunden hat, die meine Fähigkeiten übersteigt.
Insofern ist es für mich unverständlich, weshalb ich für „Ausbildungsadäquate Berufserfahrung“ mit 0 Punkten beurteilt worden bin.
Auch ist es mir unklar, weshalb man versucht, die wertvolle Beschäftigungsmöglichkeit der Firma REPLICART GmbH, die mir angeboten wurde,zu verhindern.
 
Ich bin 57 Jahre alt.
Ich bin fest entschlossen, mit all meinen Erfahrungen, die ich bislang gesammelt habe, für den Tourismus und die Kultur Österreichs beizutragen.
Ich werde noch lange weiterarbeiten.
Ich werde auch viel verdienen und redlich Steuern zahlen.
Ich habe überhaupt nicht vor, auf Kosten der österreichischen Regierung zu leben.
 
Ich bin davon überzeugt, dass ich für Österreich nutzbringend sein werde.
 
Daher ersuche ich Sie von Herzen, positive Entscheidung für meinen Antrag auf Aufenthaltserlaubnis in Österreich zu fällen.
 
2.)
Ein Grund für den negativen Beschluss nannten Sie den Punkt:
 
„Sie wurden mittels Parteiengehör vom 09.06. 2021 über den Sachverhalt informiert.
Es erfolgte keine Reaktion Ihrerseits. Es war daher spruchgemäß zu entscheiden.“
 
Jedoch erhielten weder ich noch meine Vertreterin noch die Firma REPLICART GmbH diese Information.
 
Wenn Sie für die neue Beurteilung meiner Person Fragen haben, ersuche ich Sie, mir diese zu stellen und an diese E-Mail- Adresse zu schicken. Ich bin bereit, Ihnen meine Antwort sofort zukommen zu lassen.
 
Bitte lassen Sie mich alle unklaren Punkte wissen, damit ich sie bereinigen kann.
 
Da Sie mir keine Bewilligung auf Erteilung der Aufenthaltserlaubnis geben bin ich jetzt noch in Japan. Bitte haben Sie Verständnis dafür, dass es für mich schwer ist, kurzfristig zu einem bestimmten Zeitpunkt in einem Amt in Wien persönlich vorzusprechen.
 
 
Sobald Sie mir die Erlaubnis auf Aufenthalt in Österreich erteilen bin ich bereit, sofort nach Wien zu kommen.
 
Die Situation der Pandemie und die ansteigende Zahl der Infizierten in Japan erschwert uns die Reise ins Ausland. Zurzeit ist es zwar noch erlaubt, aus Japan kommend mit japanischem Reisepass für touristische Zwecke einzureisen, aber in absehbarer Zukunft werden möglicherweise Einreiseeinschränkungen erlassen, sodass nur jene mit gültiger Aufenthaltserlaubnis aus Japan einreisen dürfen.
 
In diesem Sinne ersuche ich Sie um Ihren baldigen positiven Beschluss auf die Erteilung der Aufenthaltserlaubnis.

Mit freundlichen Grüßen

Hiroyuki 〇〇

 

 

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2021夏。ウイーン移住への記録 第28回

2021.05.28

オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて19年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が2021年夏、
ウイーンへ移住し、新たな仕事をはじめます。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)

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私たちの申請書類がウイーンに届いた翌日だったか、代理人の役の方から、連絡。

「出生証明書が見当たらない」と。

 

実は、オーストリア政府が求めている提出書類の中で、

日本ではそのものズバリがないものがあります。

「出生証明書」と「婚姻証明書」がそれ。

 

日本の公的機関で発行できるものでは、その2つともを、「戸籍謄本」で代替させるのが一般的なようですが、その形式を初めて見るオーストリア人はそれが「出生証明書」であると認識するにはハードルが高いのです。

 

以前の記事にも書きましたが、「戸籍謄本」はそのままオーストリアへ送ったわけではなく、日本の外務省の認証(アポスティーユ)をつけ、それをオーストリア政府公認の翻訳人によるドイツ語への翻訳を経て発行された、とても手間のかかった証明書です。

[

「それが日本では出生証明書です」と説明し、納得してもらいます。

 

あとで聞いたのですが、その頃ウイーンは強いロックダウン期間でしたから、申請窓口はクローズしており、申請書は郵送で窓口に贈られたようです。

ですから、そんな事情は伝わらないまま書類は申請窓口へ。

 

数日後、別のウイーン在住の方(申請書のある項目にサインをしていただいたのですが、ウイーン現地代理を私が務めますという項目だったようです。申請に携わった側はだれもそんなこととは知りませんでした。)のもとへ申請窓口から手紙が届きます。

①出生証明書がない。

②パスポートの表紙のコピーない。

③申請書に一か所本人のサインが足りない。

④過去半年間に海外への渡航歴はあるか?

上記を2週間以内に提出しなさい、という内容だったようです。

 

①に関しては、申請代理人の方のケースと同じです。

戸籍謄本は未婚の家族全員を証明するので、申請者個人を証明するべき書類とズレがあるといえなくもないのですが、

「婚姻証明」と兼任させたいという狙いも譲れません。

「戸籍抄本」を取り直し、同じ手続きをへて、ウイーンへ再び送るのは、できれば勘弁してほしい。

「日本にはこの形式の証明書しかない。日本大使館に確認をとってくれ」と強弁してほしいと依頼します。

 

②は、表紙のスキャンデータを現地へメール。

 

③は、日本でサインした原本をまたウイーンへいつ到着するのかあてもないまま送らないといけないのかと、ゾッとしましたが、申請用紙をプリントアウト、サインしたものをスキャンして、データを現地へメール。プリントアウトしたものを提出すればOKだという判断のようです。

申請者本人はウイーンにいないことは伝わっていたのだと思います。

 

④申請代理人が、ドイツ語で6か月以内に渡航歴はないという「宣誓書」をドイツ語で作成。データを受け取り、プリントアウト→サイン→スキャン→データをメールでウイーンへ。

 

補充の書類がすべてそろったので、昨日ウイーンから申請窓口あてに投函されました。

これでようやく正式審査開始となるのか?

 

着実に前進していますが、すでに6月が目前です。

 

 

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2021夏。ウイーン移住への記録 第27回

2021.05.14

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いやー、まだまだいろんなことが起きます。

 

前回、定住許可のための申請書類一式をウイーンへ発送したところまでを書きました。

発送したのは地元の郵便局から発送したのは、4月24日。

EMSという国際郵便で送ったのですが、公式サイトではオーストリアには3日で到着すると表示されています。(ちなみに送料は2,200円)

昨年末、同じEMSでドイツへ書類を送った時には、約束通り3日で届きました。

ですから送ったのちにもあまり不安を感じることはありませんでした。

 

ところが約1週間後、オーストリアから「まだ届かない」という知らせが入ります。

国内の宅配便のように、サイトでおおよその配送状況がつかめます。

下記の写真は、ウイーンの郵便局まで届いたところまで、表示されている追跡画面です。

上から見ていくと、確かに滋賀県の郵便局で4/24に「引受」。

関西国際空港の郵便局に4/25には「到着」「発送」。

たしかに、順調に日本を出たように見えますが、7日後の5/1に「ウイーンに届かない」という連絡が入ります。

驚いて、そこで初めて追跡を始めます。

4/25には日本を出ているのに、どこへいってしまったのか?

 

郵便局へ問い合わせます。

その電話の窓口では、「現在、ヨーロッパへ向かう航空便が極端に減便しているため、関空で順番待ちをしている状況だと思います」という回答です。状況をオーストリアへも伝えながら、もう少し様子を見てみようと。3日か5日か、様子をみましたが、まだ届きません。

 

行方不明になっている可能性もないことはないでしょうし、それならばもう一度書類を揃えなおして、もう一度送りなおす必要があるかもと、思い始めます。

 

もう一度揃えなおすにも、かなりエネルギーと時間がかかりそうです。

最も、難関そうなのは、ドイツ語・英語それぞれの合格証明です。

いずれも基本的には再発行を認めていません。

事情を伝えて、仮に再発行の手続きに入っても、証明書の発行はドイツ、イギリスの本国で行われている可能性があります。私たちが味わっている国際郵便の状況から、手元に届くのはいつのことになるのか、想像もできません。

 

再度郵便局に問い合わせをしますが、「コロナで……」などという一般論はいいので、正確に行方をつかんでほしいと依頼します。

折り返し連絡があり、今も関空にあると。ただすでに航空会社のコンテナの中で順番待ちの状況。郵便局側としては、コントロールもできないという回答です。関空にあるとはいえ、行方不明ではなさそうです。一安心ですが、それ以降も毎日何回も追跡画面を確認します。が、関空から動きはありません。

 

そこから数日、「届いた」という連絡もありませんから、また郵便局へ連絡。今度は「成田にある」と。大阪よりは、東京のほうが便が多いという判断なのでしょう。しかし、追跡画面には「関空」のままです。

 

状況が変わらないので、また2日後追跡を依頼。

「いまフランクフルトにあります!」5/11にはオーストリアの隣国であるドイツに。追跡画面にあるように、翌日ようやく5/12にウイーンへ到着です。

そして、今日宛先の人物に届きました。

 

国際郵便や貨物の状況を甘く見ていたのでしょうが、「3日後に届けます」という公約がありながら、届いたのは20日後。

とにかく届いてほっとしました。

 

ウイーンでの申請は半月遅れることになりますが、ようやく来週には申請窓口へ提出の予定です。

 

さて、次はどんな壁がやってくるのでしょう?

 

 

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2021夏。ウイーン移住への記録 第26回

2021.04.25

オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて19年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が2021年夏、
ウイーンへ移住し、新たな仕事をはじめます。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)
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2021.04.24に、ようやく私たちの申請書類がほぼそろい、書類一式がウイーンへ旅立ちました。

ウイーンで、代理人役をつとめていただける人の元に届き、5月初旬にオーストリア当局へ提出される予定です。

 

最も厚い壁だった、私たちの仕事をどう見つけるか?についての情報が届いたのが昨年の4月。その情報をどう実現させ、定住許可申請に至れるのか、を必死に手繰りよせてきた1年でした。

 

今回送付したのは、
申請書
戸籍謄本
パスポート コピー
無犯罪証明書 原本(アポスティーユ付)
写真
Application letter
Work Experience
英語A2 合格証明書
ドイツ語A1 合格証明書
預金残高証明(英語)
大学卒業証明(英語)

 

妻用は、
申請書
戸籍謄本コピー
パスポートコピー
ドイツ語A1合格証明
預金残高証明(英語)
無犯罪証明書(アポスティーユ付)
写真

 

これ以外に、戸籍謄本(アポスティーユ付)をオーストリアの政府公認の翻訳人による翻訳は、直接ウイーンの申請代理人役を務めていただく方へ直送。ウイーンでの住居と健康保険に関わる証明は現地で手配済み。

 

あとは、申請窓口でどんな対応が出てくるのかで、すぐに対応できるように心構えをしておくということになります。

 

一つ一つの書類には、それぞれ長~い物語があります。

それを全部書くことが、このブログの使命ではありますが、

(それなりには書いてきました)

書いてないところは今後の気分に委ねます。

 

最近、直面した出来事を一つ。

ウイーン在住のオーストリア政府公認の翻訳者の方に、アポスティーユ付の戸籍謄本の翻訳を依頼しました。

素早い対応をいただける方で、原本をスキャンしたものをLINEでお送りするだけで、作業自体は進行いただけます。依頼内容や見積もり、翻訳原本の送付など、すべてがLINE、しかもすべて日本語でOKです。

依頼した仕事は完了します。

報酬の送金の段になって、私たちが日本の「マイナンバーカード」を保有しているかどうか、が決定的な役割を果たしているのが判明します。

日本から外国の口座へ送金するには、様々な方法があります。

ネットだけで済む方法もあり、中には当日の円/ユーロのレートよりも、送金手数料を含んでも送金額が低く済んでしまうサイトも存在します。(どうしてそんなサイトが存在するのかわかりませんが)

日本の銀行系のサイトは、レートが悪い上に、送金手数料が数千円かかります。

 

今回の翻訳の報酬は、約130ユーロ。現在は1ユーロ/130円程度ですから、16,000~17,000円程度の送金です。

とあるサイトで送金手続きを進めていくと、最後に送金元の数種類の本人確認書類の写真を送付することを求められます。

残念ながら、マイナンバーカードをつくってません。

これ以上すすめません。

これまではほとんど関心がありませんでしたが、すぐに発行手続き。

(スマホで完結できます)

サイトには、発行まで約1か月かかります、と。

翻訳者には、事情をつたえて送金を待ってもらいます。

そういえば、ウイーンで銀行口座をつくる際も、日本のマイナンバーカードの提示が求められるという、ブログを見たことがあります。

これがないと、国内よりも国外に対して、信用が得られないのかもしれません。

 

 

さて、今回の申請にあたって自分で作成した書類の一つに、「職務経歴書」(Work Experience)があります。日本では、外資系企業などへ応募する際に作成を求められるものです。

単に、自分が働いてきた会社の羅列ではなく、この会社ではこのポジションで、こういう仕事をして、こういう成果をあげ、こういう能力を身につけてきた。だから、あなたの会社の募集にぴったりなんだ。というアピールの場です。

 

これをなぜ政府に提出するのか?国内の雇用の機会を、国外の人間に奪われることを予防するためだといわれています。

 

つまり、申請者側からすれば、自分のような経歴・能力を持った人間は、オーストリアにはいないんだということをアピールする必要があるわけです。(企業の駐在員は別枠)

かなりハードルは高い。

 

すべての提出書類は、英語またはドイツ語での作成・翻訳が求められますから、英語で作成します。

日本でも外資系企業に機会が出てきているため、「職務経歴書 英語」などのワードで検索すると、アドバイスをくれるサイトがみつかります。

記載すべき項目は、

1 Personal Information(連絡先など個人の情報)
2 Sumally(要約)
3 Objectives(希望職種)
4 Work Experience(職務経歴)
5 Education(学歴)
6 Qualifications / Skills(資格/能力)

などと書かれれています。

決まったフォーマットがないとはいえ、参考になるものがないと書きだしづらいため、ちゃんと例文付きのフォーマットを準備してくれているサイトをみつけます。

今回は例文付きフォーマットを、自分の情報に書き換えていく方法で、書類をつくります。

A4枚で簡潔に、というアドバイスにしたがって、これだけのものです。

(これは最終的に提出したものではありません)

自分のやってきたことを、アピール用に変換しながら、日本語で文章をつくり、翻訳サイトで英語に変換。変換された英文が訴えたい内容になっていなければ、日本語を作り直す。そして、サポートチームに内容や、英語のレベルをチェックしてもらい、Letterを仕上げます。

 

さて、これらの書類は5月の初めに、オーストリア政府に提出されます。

その反応、結果はいかに。

 

 

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2021夏。ウイーン移住への記録 第25回

2021.04.08

オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて19年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が2021年夏、
ウイーンへ移住し、新たな仕事をはじめます。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)
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ドイツ語検定の合格で、「定住許可申請の資格を得た」と書きましたが、

正確にはもう一つありました。

そのために滋賀県警本部を訪れます。

日本でいうと「無犯罪証明書」と呼ばれるもの。

こういう証明書の存在を知りませんでした。

これがないと必要最低限の申請書類がそろいません。

 

日本で犯罪歴があってもパスポートによる入国は認められるのでしょう。

しかし、それよりも長期の定住は認めないということなのだと思います。

 

申請書類を整え、滋賀県警本部へ。

案内されたのは、「鑑識課」。

指紋をとる必要からなのでしょうと、担当の女性はおっしゃっていました。

パスポートで本人確認を終えてから、指紋をとる機械ですべての指紋を採取されます。

(この指紋は照合後、すべて破棄されますという説明がありました)

この指紋を警察庁で照合されて、過去の犯罪歴と照合が行われるようです。

 

「無犯罪」という証明が、どんなレベルでおこなわれるのかわかりません。

これまで、妻も含め交通違反の経験はあり、

警察と無関係に生きてこられたわけではありません。

なんとなく、どきどきしながら結果を待つしかありません。

 

4日ほど後、「証明書ができました」という電話。

すぐに警察本部へ。

 

この証明書、用途は定住許可関連での用途がほとんどなので、

5か国語で証明されるもの。

日本語、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語で併記され、

厳封されて発行されます。

(封を開けたら、それで証明は無効になるので内容はわかりません)

定住許可の申請書類は、すべてドイツ語か英語に翻訳せよ、

という条件がありますが、この書類は翻訳の必要がなさそうです。

(でも、何が「証明」されているのかはわかりません)

 

受け取ってそのまま、郵便局へ。

私たちの申請書・戸籍謄本とともに、日本の外務省へ送ります。

 

定住申請の添付書類のためには、

自治体や警察が発行した書類でも、

さらに外務省の認証・アポスティーユというものが必要らしいのです。

 

さて、同時に進めているのは、ぼくの「大学卒業証明書」の申請。

大学のサイトを見ると、言語が日本語か英語かのチョイスができ、

英語をチョイスをして申請。

 

もう一つは、「婚姻証明書」。

これは、妻の申請に必要な書類なので、妻に情報収集を任せます。

申請書・戸籍謄本・パスポートを添付書類にして、メールを送信。

あて先は、在日オーストリア大使館。

「どうして僕たちの婚姻証明を、オーストリア政府が証明するのか?」と疑問を持っていましたが、

「これは、在オーストリア日本大使館の仕事です」と返信。(笑)

「どうして、僕たちの婚姻証明を在オーストリア日本大使館がするのか?」は、

不明のまま在オーストリア日本大使館へ再送信。

 

どうなることやら。

 

まだまだ、書類揃えは続きます。

 

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2021夏。ウイーン移住への記録 第24回

2021.04.01

オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて19年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が2021年夏、
ウイーンへ移住し、新たな仕事をはじめます。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)
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今回から、タイトルの一部「春」を「夏」へ変更しました。

定住許可申請に必要なドイツ語の受験が、1か月伸ばさざるを得なかったこと。

当初、パスポート(滞在6か月まで)で、ウイーンへ入り、現地で申請というようなつもりでいたのですが、現在は申請の審査の期間が延びていて、「許可」が下りるまで日本にいた方がいいという、

ウイーン現地からのアドバイスもあって、当初計画より日本にいる期間を延ばした方がいいという判断からです。

 

さて、前回はドイツ語A1を受験したことまでを書きました。

2週間後の18時頃に、サイト上で結果発表。

この画像が結果です。

見にくいですが、「聞く」「読む」「書く」「話す」各25点満点で、合計100点中合格ラインは60点。

結果は81点で合格です。

「読む」「書く」は、それぞれ22~23点で、ほぼ満点。

「話す」も、会場を微笑みに包んだ想定外の言葉を発したぼくに(前回のブログ参照)、

約20点をつけてくれました。

英語のケンブリッジ検定の際にもそうしましたが、「話す」で試験官に稚拙ながら「自己アピール」を盛り込みました。

このドイツ語の試験では、自己紹介のなかで「どこに住んでいるのか」を話す必要があります。

「私は大津市に住んでいます」で正解ですが、そこにわざわざ「近い将来、ウイーンに住むつもりです」と付け加えました。「この検定は、ぼくの人生がかかっているんです」と伝えたかった。

それで、採点が左右されるのかどうかは定かではありません。

でも少しだけでも配慮してくれたらありがたい、という願いがそうさせるわけです。

「溺れる者は藁をもつかむ」です。

 

妻も、70点台で合格。

これで、夫婦そろって申請資格を得たことになります。

 

とにかく、この2か月はそれなりに仕事をしつつ、ドイツ語づけの日々でした。

ようやく申請書類の準備に入ります。

 

実は、まだ膨大な作業が必要です。

準備の最初に訪れたのは、滋賀県警本部。

 

なぜなのか?

この話の続きはまた次回で。

 

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