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4月, 2020 | 【公式】オーベルジュメソン|滋賀・何もしない贅沢を味わう籠れる宿 - Part 2

Story

滞在中の楽しみ方を、
周辺のスポットや季節のトピックを
交えてご紹介しています。

2021春。ウイーン移住への記録 第3回

2020.04.15

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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オーベルジュメソンを立ち上げてから、

ずっと思い続けてきたことがあります。

「経営者が僕たちじゃなかったら、

ここはもっといい宿泊施設になっていたかもしれない」と。

経営者としては、3流を自認しています。

 

2代の前オーナーから引き継いだためか、

メソンは、ぼくたちの「所有物」というよりは、「預かり物」。

次へ引き渡すまでの「管理人」感覚をずっともってきました。

 

それでも18年間、精一杯心地よい時間と場を提供できるよう、

誠実に努力してきましたが、

「もうこれ以上は僕たちの手に余る」という思いも募っていました。

ですから、数年前から後継者を探しはじめます。

すると、長女(当時は大学生でしたが)が手を上げました。

卒業後少しずつ、経営移行の準備を始めています。

 

次は、僕たちの「次」をどうするか。

そんな時の、ブダペスト・プラハ・ウイーン行きだったわけです。

 

ウイーンでトラベロコを通じて出会ったのは、僕たちより少し年長の女性(Lさん)でした。

ホリイゲ(ウイーンの居酒屋さん)で、ビールやワインを飲みながら、

「ヨーロッパで、ぼくたちにできることがある気がしてるんです」

なんて話も聞いてもらっていました。

 

Lさんは、「移住されるんでしたら、お手伝いしますよ」と。

後日、Lさんのご主人とも食事の機会がありました。

オーストリアの超高級ワインやワイングラスの輸出や、

日本の「しめじ」の栽培をオーストリアで始めるなど、

全貌がよくわかりませんが、現地で事業を立ち上げている方。

このご夫妻との出会いで、僕たちは本気モードに入りかけて、帰国します。

 

この時の僕たちの新たな仕事のイメージは、

ウイーンで小さな宿泊施設を始めることでした。

帰国してから、観光情報でないウイーンやオーストリアについて、調べ始めます。

 

国の面積は、北海道程度。ウイーン人口は札幌市と同じぐらい。

とても小さな国ですが、一人当たりGDPは日本よりはるかに上。

豊かな国なのです。

ご紹介いただいた不動産サイトを見ていても、

小さいとはいえ宿泊施設ができるほどの規模の価格は、

僕たちが準備できる一桁上の金額です。

 

「どうしたのものか?」

なんとか打開策はないものかと、

今年の1月末をメドに、再度ウイーンを訪れるプランを練りだします。

 

 

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第2回

2020.04.15

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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ブダペスト・プラハ・ウイーン

この3都市は、

ハンガリー・チェコ・オーストリアと3つの国に分かれます。

すべて欧州連合(EU)に加盟していますが、

ユーロが使えるのは、オーストリアのみ。

他の2国は、通貨は自国の通貨です。

言語もバラバラ。

ウイーン以外は、カタコト英語ではほとんど通じません。

 

また、旧社会主義国だったところでは、

「わたしの仕事はお客さんのためにある」なんていう感覚は皆無。

楽しそうに働いている姿は、ほとんど見当たりません。

 

ホテル・飲食店以外のトイレは、基本有料。

ウォシュレットは皆無。

飲食店での水は有料、などなど。

些細なことに聞こえるかもしれませんが、

そこにいるための「ベース」の部分が、

日本での感覚と少しずつズレています。

 

元来、コミュニケーションが苦手な僕にとっては、

飛行機に乗って移動する、という大きな苦行を乗り越えたのに、

日々苦行が続いていきます。

 

そんな中で、「トラベロコ」を通じた、日本人と出会います。

「砂漠でオアシスに出会うってこのことか」

本当に僕にはそう思えたのです。

 

同時に、「ここでぼくたちにできることがあるかもしれない」と、

思い始めます。

 

オーベルジュメソンは、外国からの予約をあまり受け入れないようにしています。

つまり、日本人にとっての「心地よさ」を18年間追及してきたつもりです。

この経験を生かせば、ぼくたちにもヨーロッパで、オアシスが作れるかもしれないと。

 

おまけに、ここで出会った日本人の方々が、

ユニークで、僕たちの移住をサポートいただけそうな可能性を秘めていました。

 

 

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第1回

2020.04.14

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

 

この移住計画は、2019年の1月から2月にかけての旅行が発端となります。

 

オーベルジュメソンでは、その2年ほど前から、

閑散期になってしまうこの時期の2週間ほどを休業し、

仕事のレベルアップのためのリフレッシュ期間として、

海外へ出ることを推奨してきました。(自己負担でですが)

 

私たち夫婦は、ニューヨーク、地中海クルーズとでかけ、

この年は、ブダペスト・プラハ・ウイーンへ向かうことになります。

 

僕自身は、閉所・高所恐怖症。

パニック障害があるので、飛行機に乗るのは勘弁してほしい立場です。

ですからこのシーズンを前に、妻は「女性の一人旅」的な本を買い込み、研究を始めます。

その結果が、ブダペスト・プラハ・ウイーン

 

「長女と行ってきたらー」と、のらりくらり、はぐらしていましたが、

長女が大学の卒業旅行で、「バルト三国に行く!」と言い出し、

僕がお供することが決定的になります。

 

僕たちが旅に出るとき、あらかじめ観光情報を十分に入手し、

スケジュールを決めて出発するということをあまりしません。

 

それで、いいのかどうか。

後悔することもありましたから、

今回は「トラベロコ」(現・ロコタビ)を利用して、

現地に住む日本人の方とセッティングして、

いっしょにディナーを食べながら、

観光情報や暮らし方をお聞きすることにしました。

 

「旅は人」

なかば自省を込めながら、そのことを実感することとなります。

 

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